最高裁判所第一小法廷 昭和46年(オ)912号 判決 1972年6月15日
破産者大川猛破産管財人
上告人
久田原昭夫
被上告人
鎌刈宏之
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人の上告理由第一点の(一)および(三)について。
破産法七二条一号による否認権行使の場合において、受益者が同条同号但書により否認を免れうるためには、受益者がその行為の当時破産債権者を害することを知らなかつた事実が認められれば足り、その知らなかつたことについて過失があつたかどうかは問わないものと解するのが相当である。所論引用の当裁判所の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
同第一点の(二)および(三)ならびに第三点について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決の挙示する証拠関係に照らして、首肯するに足りる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(大隅健一郎 岩田誠 藤林益三 下田武三 岸盛一)
上告人の上告理由
第一点 原判決は、破産法第七二条一号の解決を誤りひいては審理不尽、理由不備の違法がある。
(一) 原判決は本件契約締結当時、大川の本件土地売却が破産債権者を害することを知らなかつたと認定した上、直ちに被上告人(控訴人)の抗弁が理由あるとして、本件売買を否認することができない旨判示している。
然し乍ら、破産法第七二条一号但し書において「破産債権者ヲ害スヘキ事実ヲ知ラサリシトキ」については、同法の解釈上無過失を要件とすべきであると信ずる。
よつて原判決は、被上告人(控訴人)の過失の有無については何等審理判断することなく、直ちに否認権の行使を否定した違法があるというべきである。
けだし、同条の規定は破産の目的たる正義と公平に副うものとして、破産者から逸出した財産の確保、返還を期するものとして他方これに対し但し書において、善意者保護乃至は動的安全の保護の目的をかかげ、以て双方の調和の上に立つているものと解釈しなければならない。
動的安全を保護する制度として民法中最も徹底したものであろうとされている民法第四七八条の債権の準占有者に対する弁済における善意についてさえも過失ある弁済者を保護することは、すぎたることとして、動的安全と静的安全の調和の上から同条に無過失を要件とする解釈が行われていることは、つとに最高裁判所判例の示すところである。
ましてや、破産法第七二条のように破産における正義と公平に奉仕する規定の解釈において過失ある受益者を保護することは、正にすぎたることと云わねばならない。
(二) 仮りに破産法第七二条一号但し書において、無過失を要件としないとしても「破産債権者ヲ害スルコトヲ知ラサリシトキ」とは、単に破産者から破産申立の事実を告げられなかつたとか、他に借財はない旨を聞いたのみでは足りず、社会通念上善意と認むべき客観的事実の立証を要するものといわなければならない。
原判決が認定するところによつても被上告人(控訴人)は、本件不動産が破産者大川の唯一の不動産であること、及び昭和三八年五月二〇日に至つて、本件不動産の所有名義が株式会社大阪商工振興会に移転していることを知つたことは、これを認められているところである。
従つて被上告人(控訴人)は、少くとも破産者大川の債権者として株式会社大阪商工振興会が存在していたことを知つていたのであるから社会通念上、他に何等かの債権者が存在するであろうことは、たやすく推測し得るところである。
そうであるからこそ、他からの差押等を回避する手段として手付金五十万円と右株式会社大阪商工振興会に対する六百五十百円の支払と同時に即ち売買代金の三分の一にも充たない金額を支払つたのみの段階で所有権移転登記を行い、破産者も亦僅か五十万円を受領したのみで、何等の担保もされることなく唯一片の念書を以て残額金千五百五十万円を受け取ることなくこれに応じたものと解する他はない。
従つて、原判示の各事実のもとにおいても「代金の約三分の一にあたる七〇〇万を授受した段階で所有権移転登記手続がなされた事情」を是認すべき事実は見当らないと信ずるものである。
原判決判示のような事実関係のもとにおいて、取引の相手方の債務の状況を調査することは、正に一挙手一投足の労にすぎないにも拘らず、漫然「本人が他に借財がないと云つた」「破産申立を知らなかつた」のみを以て、たとえ価格が相当価格であつたとしても、直ちに破産法第七二条一号但し書に該当するとして否認を免れられるとすることは、到底これを容認することはできない。
(三) 而も本件は不動産の売却行為である。
不動産取引について公信力がなく、元来無権利者からこれを買い受けた者は善意、悪意を問わずこれを保護されることのない民法の立場と対比して、本件売買を考えると本件不動産の売買は、破産手続審理中の売買であつて売主たる大川(破産者)はいわば潜在的無権利者とも云うべき地位にあつて、正に異例の売買というべく単に善意のみならず無過失を要件とすべきであり、仮りにそうでないとしても善意の認定にあたつては、何人もこれを是認し得る通常の取引に限るべきである。
第二点 <省略>